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SCC関西・出雲・松江・敦賀5泊7日の旅

記録という物は面倒なものです。
最近はアウトプット衝動を手軽に写真をつけてツイート出来るので、そっちで満足しちゃいますよね。
とはいえ通しで流れを見返すにはやはりブログが一番適しているのではなかろーかと、とりあえず何処で何をしていたくらいは書いておこうと思うんです。

写真をつけて気合いを入れて記録しようとしたら挫折したものの多いこと多いこと。
今んところ頭の中には残ってるんですけどそろそろ危うい。
ていうかiCloudから指先で写真を引っ張ってきて後は適当に文章をパチパチすれば良い、的な手軽なツールありませんかね。
あればもうちょい写真つけて残そうって思うんだけど。

【0日目】
夏季休暇直前の2週間、仕事の合間合間にぼんやりと行き先と考える。
最初は上高地、岐阜の山の方といった避暑地がポンポンと浮かんでいったのですが、
上高地は割とメジャーな避暑地で今からホテルを取ろうとすると高いし、18切符が3日分なので別で日帰り旅行を計画しないと使い切れない。
この9連休という長い休暇にそれはもったいないと、却下。
岐阜の山の方は調べたら豪雨被害で移動手段が全滅していた。致し方なし。

結局何も決まらずにあー休みに入るのちょっと待ってくれよーと思いつつ金曜日の仕事が終わり休みに突入。
微妙に腐りながら金夜にネットサーフしていたらSCC関西が日曜開催だということを知ったのでした。
あんま見ない、気になるサークルさんが本を出す……それはとても気になる。
土曜の夕方まで自宅でぐだりにぐだり続け悩んでいましたが、突発で夜行を取って大阪へ向かうことに決めたのでした。

【8/18:夜・新宿~東京】
18時頃、新宿に向かう。本当はこの時間ちょっと前の映画を観ようと思ってたんだけどぐだってたら間に合う時間過ぎてた。
ところで私は今まで大量のストレージと紙の資料とデッキケースを持ち歩く仕事をしていたので、
それはそれは大きなトートバックを抱えて移動していたんですが、転職のタイミングでその鞄を捨てたんですよね。
元々内部のポケットが破けて鞄の中で物という物が神隠しに遭う(訳:布と布の隙間の間に入り込んで何処に行ったか分からなる)
悲劇が起きていたので、まぁもういい加減寿命です。汗掻くと肩からインク的なサムシングがにじみ出すのも地味に困ってたし……。

何が言いたいって鞄が無い。鞄が無いのに買ってから取りに戻る時間はもう無い。
まぁ色んな物足りてないし鞄ごと新宿で探せばいいじゃん? ていうか下着も足りてなくねえ?
ってことでとりあえず上の方の服をポンポンと黒い45Lゴミ袋に突っ込んでいつもの肩掛け鞄でしゅっぱーつ。

とりあえず鞄だ鞄だーということで閉まるのが早い百貨店系をぐるぐる。
丸井が多すぎて迷う。お前この町何回歩いてると思ってるんだ……。

ぐるぐるしすぎて歌舞伎町方面の路面店にもないかなーってふらついてたんですが(ねえよ)、
私服のおばちゃんに捕まる。
「その黒いゴミ袋、ちょっと見せてくれる?」
ご身分を要求したところ、ご丁寧に手帳を見せてくれたので、ハイ…・…
遺体か不法投棄物かよからぬ運び屋だと思われたんでしょうか。
5分くらい職質されました。スイマセン。
怪しい格好ですが怪しい者ではありません。服しか入ってません。捨てる気も無いです。スイマセン。生きててスイマセン。
歌舞伎町は結構がっつり警備入ってて大分平和です。治安悪い感じ全くしないもんな。

で、再び店巡り。
ボストンバックかなーって思ってたんですけど大分肩に負担が掛かってたんで今回は機能性重視でリュックになりました。
いやこれはなかなかのファインプレーだった。
前回のトートバックが内部のポケット薄くてペンを裸で入れてたら布を突き破ってしまったんで、中の布の厚みを入念にチェックするようになりました。

鞄確保した後は足りないものを細々買い足し、良い時間になったところで東京へ移動。
水分確保して夜行でどんぶらこ。窓際で、且つお隣が普通に普通なお姉さんだったお陰で驚くくらいぐっすり眠れました。

【8/19:大阪・SCC関西~難波】
風呂! とりあえず風呂!!
行きの夜行はこれね。顔直すタイミングね。
プレミったのが、大阪で使う予定だった銭湯が日曜の朝だけやっていなかったこと。

しゃーないのでネカフェのシャワーなんですが、まぁ朝のシャワーって時間単位で待つことが多いんですよ。
朝飯食べて梅田ダンジョン彷徨い歩いて大分駅から離れた所で3時間パックでどうにか出来るとこ発見。

荷物整理してシャワー浴びて同人誌即売会に向かう。
インテックスは結構来る機会ありましたが、同人誌即売会は初めてです。
昼前着で全く並ばず。ていうかすんごいまったりしててビックリしたー。郊外にある休日のショッピングモールの雰囲気って感じ。
でも中は導線のせいか一部渋滞してましたね。
スペースの一部が4階だか5階だかにあるのはさすがにビビった。これ災害とか起きたとき結構大変そうだね……。

でもホールの中はかなり快適!
人はそれなりにいるんですが、スペースとスペースの間がビッグサイト比1.5倍~2倍って感じ。照明は暗め。
旬ジャンルのところでもすーごい移動しやすくてぶらっと見て回るのが凄く楽しそうだなって思いました。
目的物は少ないしそもそも荷物を増やせないので今回はさくさくっと済ます。

買い物後は同人絡みで知り合った方にお茶付き合って頂いた。
本当にありがとうございました。あとパフェ美味しかったのでまた食べたい……。

午後の空き時間が結構長かったのと映画を観ていこう、ということになったのでスパ付きのカプセルホテルを選択。
ここ。http://newjapan.co.jp/ladys_sauna/stay/
24時間使えて朝食付き5,000円とお安い。
安ホテルの朝食って割としょぼめのビュッフェだったりするんであんまりつけないんですが、ここは大変美味しかったです。
また使いたいなーこれは。道頓堀とか日本橋とか、あちこちアクセス良いし。

【8/20:難波→出雲市】
前回の18切符旅行では鳥取砂丘に行ったんですが、その時出雲大社まで足を伸ばしたくなって、結局日程の都合で行けなかったのが心残りでした。
ずっと行きたいなと思いつつ行けなかった出雲、大阪まで出てしまえば朝発で行ける!
豪雨被害で内陸部の山陰線ルートその他が運休しているので、鳥取経由ルートで移動。
このルート海沿いの景色が素晴らしいんですよね~。海が水澄んでてとても綺麗。
22時頃に出雲市に着き、周辺の夜間運営飲食店が充実していたのは嬉しい誤算。
食べて駅から30分くらいのネカフェに泊まりました。
前日の空席情報見たら個室空いてなかったからちょっと覚悟してたんだけど、平日だったお陰か空いてて良かった。

【8/21:出雲・松江】
出雲大社の電車観光は、出雲市駅の私鉄を使うのがセオリー。
ただ、地図見たら出雲市駅から大社前までは2時間くらいなんですよ。
で、ネカフェまでは30分歩いたんで1時間半くらい。
山の隙間を縫うような道ではないし、一本道で分かり易い。歩道も恐らくそこまで危なくないと踏んで、歩きました。

さてこの日の最高気温は35℃とかそこら。日差しがやばかった。当然ながら日陰は無い道です。だがそれが良い。
調べてなかったんですが結構道中にあるコンビニだの飲食店だのに助けられましたね。
かき氷とか久しく食べてなかったんだけど餡子の有名店らしいところで食べて抹茶のかき氷は大変美味しかった。

ある程度歩くと田畑が続いていて、葡萄畑の並びに突入。
寄るつもり無かったんですが存在は知っていたワイナリーという観光地的なワイン工場を発見。
いやせっかく車じゃ無いんだし飲めるなら飲みたかったね。
ただまぁコンビニに売っているような度数少ないものはなかったし、何よりこの炎天下で疲弊した体に酒をぶち込んだら間違いなく倒れるので葡萄ジュースの試飲で我慢しました。
工場見学は15分もあれば済むレベル。
ワイン好きな人は楽しめそう。でも、駅から大分離れているし電車移動の人がわざわざ見に来るほどじゃないかなぁ。

再び暫く歩いて出雲大社……の東辺りから入る。な、なんか結婚式やってる……
そろそろと通り抜けて参拝。ぐるっと回る。参拝。

それっぽいものを見かけたらとりあえずちゃりんちゃりんしておくスタイル。
信仰心なんてものは無いのでとりあえず金だけが正義だ。通ることを許してくれ。
良縁など要らぬ。十分すぎる頂いている。ただ悪縁を切ってくれるなら嬉しい。
あとは作ったゲームを遊んでくれる人、書いた小説を読んでくれる人が増えるよう。
あととりあえず旅の無事。

西に30分くらい突っ切ると日本百景の1つらしい稲佐の浜に出るので、とりあえず海みたいぞとひたすらてくてく。
さすがにこっちはもうぜんっぜん人居なかった。海に着いても居なかったのでビビった。あんなに綺麗なのに。
途中松江を一望できる山道とかあって迷いましたが、さすがに坂道はキツいなーと途中の小さな神社を参拝するに留める。

稲佐の浜はいやーもうー綺麗でしたね。
通り過ぎるだけと思ってたんですけど普通に入れそうだったので足首だけ浸かってきた。
ジーンズ濡れてもすぐ乾く! ひゃほーい!
でも足に日焼け止め塗ってなかったので30分程度の滞在であっちゅーまに焼けた。
歩きまくって焼いた腕頭よりもここのダメージがずっと響いてる。いてて。

1時間1本のバス便の為、出雲大社前駅方面にひたすらてくてく。
さすがに疲れてきたなー出雲大社の入り口となんか和風なスタバを発見。
それっぽいお店の並びがあったんでそこできゅうり囓ったりラーメン啜ったりしてから畑電車大社線、とかいうのに乗る。
出雲市に出てJR松江に行こうと思ってたんですが、宍道湖の上を経由して松江しんじ湖温泉駅まで行っても松江城への所要時間歩きならそんな変わらんやん……ということに気づき1時間くらい乗ってました。
いやー水辺イイですね水辺。このローカル線の社内もおもちゃみたいな不思議な構造になってて楽しいし飽きない。

また歩きつつ松江城。
いやー思ったより広かった。天守閣からは宍道湖が見えて眺め良いし、構造もなかなか面白い。
つーか浅学過ぎて知らなかったんですが、松江城って松平と京極だけじゃなかったんだね。

観光用チケットで武家屋敷と小泉八雲記念館もお安く観られるよーってのがあったんでそれぞれの場所を目指しつつぶらぶら。
武家屋敷は丁度8月にリニューアルされていたらしく綺麗になっていた。
武家屋敷ってだけでなんかロマンあるよね。

小泉八雲記念館。ていうか誰じゃ。
パンフ貰ってラフカディオ・ハーン、の文言を見て卒倒。あなたか。あなたさまか。
いやー恥ずかしながら知らなかったし全然繋がらなかったんですよね。
あの志賀直哉が参考にした作家として名前を上げているハーン氏。
ガイドでは30分くらいで見られる施設らしいのですがこんなん30分で終わるかよ!っていう情報量。
確かに見る場所は多くなんだけど読み込み系の資料が充実しているので2時間近く居たのかな。
いや良い記念館だった。ていうか八雲氏好きになった。
青空文庫で一部読めるので、移動中はずっと八雲氏の本読んでました。

ラスト、小泉八雲旧居。
公開されているスペースは少ないですが、彼が出している書籍文書の描写と共に庭を一望できるのが最高。
正直思い入れのある文豪ではないためそんなに感慨らしい感慨は無いのですが、文章と共にお庭眺めてのんびり出来るのが良い。
ぜんっぜん人入ってなかったんですが、休日だと混むのかなぁ。この静かな空間を貸し切り状態で見られたのは幸運だった。

松江駅方面へ向かいつつ飲食店を探す……、この時点で19時くらい。
ロードサイド店くらいもうちょっとあるだろと思ってたら本当にビックリするくらい何もなくて、松江駅に併設されているショッピングモール下のチェーン店でご飯食べて行きました。
皆ちょっと離れた温泉宿行くから売れないのかなあ。
ところで松江城方面から松江駅方面行くには川を超えるんですが、ここの夕日が沈みゆく様が異常に美しかったです。

この日の宿はカプセルホテル。ネカフェ予定だったけど3000円と安かったのでそっちにした。
結構あっち行ったりこっち行ったりぐるぐるしたのもあって、炎天下の中20kmくらい歩いたようです。
6kgくらいする大荷物抱えて。
5Lくらい水分摂ったな。いやぁ歩いた歩いた。

【8/22:松江→敦賀】
移動日! 結構終電が早いので早めに出た。
途中福知山~城ヶ崎温泉間の電線トラブルで1時間くらい立ち往生するトラブルに見舞われましたが、
どうにか21時頃に敦賀着。福井まで上る予定だったら即死だった。
洗濯しつつ天気予報チェックして怯えながら眠る。

【8/23:水晶浜】
世間じゃ台風が2個来ているぞと騒がれていたらしいですが、とりあえず一目見たいとわざわざ敦賀にやってきました。
最悪泳げなくても良いかなーと1日5本のバスに乗り込み移動。
水着に上着被ってほとんど荷物なし!
結局、台風の心配は割と杞憂だったようで、人は少ないし風は強いもののふっつーに海は開いてました。
黄旗(注意して泳げ、の意)も立ってない。

浜ではパラソル借りようと思ってたけど風で飛ばないから貸してないぞと言われ同じ値段でテントを借りる。
いやこれなかなかいいですね。風強かったんで時々砂飛んできて参ったんですが、テントだと割としのげる。
あと水入ったら思ったよりすぐ深くなったんで浮き輪も借りた。流されるの楽しい。

水晶浜は日本有数、っていうか実は世界的にも美しい景観を持つ海水浴場なので、シーズンはそれこそ砂浜が埋まるほどの大混雑と聞いてるのですが、台風前というのと盆過ぎ、というのもあってかガラガラ。
人とぶつかることもないし写真も撮りやすいしのんびりできるしで堪能しました。
水済んでて凄い綺麗。魚とかイカも泳いでる。ありがたいことにクラゲは居なかった。

この辺りは海沿いずっと、海水浴場が続いていて、小さい頃には岩場で蟹を釣りつつ珊瑚礁を見られる穴場的な所にも行きましたね。
あれ何処だったんだろう。海水浴場ではなく地元の知る人ぞ知る小さな岩場だったような気がしますが……。

14時頃、雨が降ってくる。風も強くなる。
30分後のバスを逃せば18時まで無いのでここでとっとと帰るべきだったんですが、あまりにも快適だったんで雨に降られながらぼけーっとしてました。
海の家が閉まる16時前にレンタル品返却してシャワー浴びてとりあえず上がる。
敦賀駅までは徒歩3時間、さすがに車の道で道中のコンビニ有無も怪しければ電波状況も怪しい。
あとビーサン。さすがに無理だよということでその辺ふらふらしつつ海を眺めて待ちぼうけることにしました。
時々振る激しい雨と風に煽られながら眺める夕日が美しい。

敦賀に戻った後は地元の刺身を食べ羽二重餅を食べ。いや楽しかった。

【8/24:敦賀→新宿】
このルートに別ルートも何も無い。
毎回午前終電だ朝終電だと騒いでいた1週間でしたが、さすが上り電車、終電は15時。
もう1個どっか見よっかなーと思いつつのっけから乗る予定の電車が台風で止まっていて1時間待ちぼうけ。
23日からは敦賀に行く時に使った小浜線がずっと運休していたので、割と間一髪だったかもしれません。
ちゃんと海で泳げたのも、夜のうちに台風が通過したのも運が良かった。

帰りはさすがに寝ている時間が長かった! ホテルでも結構ぐっすりだったんですけどね。
何度も何度もさわやかを食べようか名古屋でみそかつでも食べようか迷い迷って、途中降車のめんどくささに負けて結局寄り道しないで帰ってきました。
まーこの辺りは18切符で西に向かう以上必ず通るルートなので。またそのうち。



やーさすがに丸々1週間は初めてでした。夏場の18切符っていうのも。いつも春なんですよね。
中でも海水浴!っていうのがなかなか新鮮。
コインロッカーもなしで1人海水浴って難しいかなって思ったんですけど、諸々レンタル利用すれば普通に楽しめますね。
割とハマりそう。太平洋側でも気軽に行ってみたいなぁ。

しかしもうこんな長い休みを取れるのも最後でしょうか。
本当はいつでも休めるようなご身分になってみたいもんですが。
まぁ働かないと死んでしまうので仕方がないです。
いや、楽しかった。冬コミ落ちたら冬もどっか行こうかな。
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お月様でシャンパンコール

スパンコールでもぶちまけておけ。

今度ね、ホストクラブに行ってみようと思うんですよ。
いや聞いて下さい。ほら何事も体験。
ホストクラブって結構初回だと凄いんですよ。破格なんですよ。
あと飲むのはホストだからソフトドリンクでも良いんだって。大丈夫。

それはそれとして、最近耳からシャンパンを流し込み続けた結果やっぱりいつかは飲んでみたいなぁとかほのかな憧れを抱いています。
ああなんと甘美な響き。シャンシャンでもシャンプーでもシャンメリーでもなくシャンパン。
パン。パンが良いのだ。

お前は何を言っているんだと思ったらとりあえずヒプノシスマイクでググってみるんだ。探しているうちにハマってしまえ。

体を慣らす為と味を知る為に時々自宅でちびちびちちびちびと、ほろよいシリーズなんかを飲んでみているのですが、そうやってると段々限界値分かってきますよね。
2日起きくらいで飲むとちょっと平気になっていたりしてアレ!?耐性付いてるんじゃね!?ってテンション上がったり。
落ち着け気のせいだ早まるなその統計は都合の良い所だけを微分しすぎだ。

まぁでもワインの類いって、そもそもがアルコール濃度高いんですよね。
度数3%の350mLを満腹時にのんびり1時間以上かけて飲めば顔が赤くなる程度で済むかな……、
なんて頭をぐるぐるさせている自分には10%とか15%とか未知の世界です。
3倍5倍ですよ。ポイント還元率か何かの数値じゃあるまいし。
肝臓分けれ。

まぁでもアレですね、そもそも350mLっていう量が多いんですよね。
ほら昔イタリアンレストランで働いてたからワイングラスの量とかちょっと覚えてますよ。
あれ100~120mLくらい。おお一気に1/3くらいになったぞ。つまり濃度3倍くらいならしても良いんじゃないか。

とりあえず100mL度数9%まで耐性を引き上げたことにしましょう。いや上がってるのかなこれ。上げてはいないよね。
まぁ聞いて下さい。
私は一口飲んでみたいだけなんですよ。
一口。一口って一体どのくらいの量なんだろうか。

今、目の前にサイ○リヤのワイングラスを想像して、大きめの一口を想像してみましたよ。
20mL! よし。ここまでいければもうなんだっていけるじゃないか。

なんだちょっと味見するくらいだったら欲張らなければ意外といけるんじゃないか……、
って夢を思い描いた所で、分かってるんですよね。
一度における摂取量。1時間どころかいつもは2時間かけて飲んでます。クソ温くなってる。

1分あたりの消費量とアルコール濃度を絡めて計算すると……
ああめんどくさい! 日本酒を舐めた瞬間卒倒するんじゃないかこいつ。
大体顔が赤くなって眠くなるってなんだ。海に行って日焼けでもしてろ。つら。

何でもそうだけど強い体って大事です。
強ければなんでもできる。真理だ。
あっしは雑魚なのでやっぱり大人しくしていようと思います。でもホストクラブには行ってみる。
これが夏季休暇の予定の一つです。夏休みの自由研究。

思い出したら誰か通報しといて

あー。ここまでクソ暑くなると野宿も命に関わりますよね。
治安とかそういう問題ではなく。暑さで死んでしまう。

なんか帰省する家も無いのに真夏に9連休が貰えるという謎の朗報を受けて、家で干からびて死なないために外出の計画を日々夢想しています。
そう、死なないために。

惰性と創作意欲が結びつくと様々な問題があって、ついでにこうも外に出るのが気怠いとまぁ間違いなく引き籠もるんですよね。放っておくと。するとどうなる。
運動を全くしないで動かずに筋肉が衰えて腰を痛めた、しかもロクな食事を取っていない干物ができあがるのです。
夏場に。
命に関わります。
大変。大家が。
死んだ後のこととか割とどうでも良いけど、真夏に孤独死するのはやめて差し上げろ。悲惨。

ところで行き先のことはさておいて、避暑地は泊まる場所が問題ですよね。
逃げ場があるのか謎な日本ですがとりあえず東京よりは空気が綺麗で涼しい所に行きたいな……なんなら山ごもりでもしてやらあと思いついたところで野宿のことを思い出したんです。
基本的にネカフェ泊を好むんですが、10代の頃なんかは割かし自暴自棄になって野宿したりなどしました。
もう消えてますけどこのブログの古い記事でもそんなことを書きましたよね確か。
あれはもう10年くらい前の話か。

万年思春期の中学生みたいな脳みそしてるのであんまり今も変わっていないといえばいないのですが、昔は大分体力を持て余していたなー、というかオーバーフローしてぶっ倒れたんだっけなぁとか色々思い出します。
その後カードに傾倒し、離れ、今は創作に向いている感じ。

正直勝負事は割と洒落にならないくらい体に負担がかかっていたので、こっちの方が健全なのかなぁとも思うんですが、考えていることや性質が不健全極まりないのでなんとも言えない。ていうか没頭しすぎると腰にクるんだよね。こっちの方が深刻。

思い返すと野宿する体力やなんやかんやも余ったエネルギーの発散先だったのかな。
多分私自身は元々それほど体力がある方ではなくて、単純に本来であれば50でセーブしておかないといけないリミッターを一度90まで取っ払ってしまったがために体の感覚が狂い、戻らずに最大値だけがどんどん下がっているのだと思います。

そうやって走っていると自然と考えなくて良いことは考えなくなるし、何より走っている間はそれなりに心地良いので麻薬ですよな。
まぁ何でも良いんだけど。

医者にも言われたんだが割とさくっとぽっくりどっかで逝くか、最大値が下がりすぎて寝たきりになるか。
もーちょっと身の回り落ち着けてからにしたいですね。
どっちにしろ大家さんごめん。新聞取るの止めちゃったからもう誰も気付かないですね。

お一人様で気ままに生きるのは良いんですけどふとした瞬間に腐乱死体はちょっと嫌だな、とか考えています。
いやぁ部屋は散らかりがちだしまともに食べないし自堕落だし死亡事故なら家の中が一番確率高そうなんですよね。

なんか孤独死対策のアプリとか流行るんじゃない。
孤独死そのものはどうでも良いんだけど、とりあえず腐る前にみっけてくれる奴。
こうもクソ暑いと3日もあれば溶けるから無理か。
いっそそのまま蒸発させておくんなまし。

結論を出さない話

最近書けば書くほど、文章を書く行為は馬鹿になる為の作業なのだなぁと思います。

2日間、プライベートでゲーム絡みのイベントに行ってきました。
体の疲れは思ったよりも残っていないのですが、良い意味でなかなかへびぃな心的衝撃を受けて寿命が削れた気がします。
ちょっと推しの公式供給が過剰で。あ、意味分かんなくて良いです。
要するに、もう若くない。

ゲームデザインのお仕事を廃業してから半年以上が経ちました。
未だに当時の仲間とはちょくちょく連絡を取っています。
時には訃報が届いて、昨日は亡くなったデザイナーが作ったゲームで仲間と遊んだりなどしました。

特にあいつのことは語らない。ただゲームをして遊ぶ。ゲームのことしか話さない。
私がゲーマー仲間を友人と呼ばず、仲間と呼ぶのはそういう区別です。
結構、趣味だけで繋がるこの距離感が好きだったりします。
雑談はできなくてもゲームだけは楽しむことができる。

奴は私から見れば納得して死んでいったように見えたので、寂しいという気持ちはあるのですがちょっと羨ましくも思います。
私はゲーム開発の仕事を辞めてから惰性で無気力に生きているのもあって、最後までそういう自分の在り方を貫いたのは素直に尊敬できる。
まぁ彼の場合は他に道が無かった、というのはあるのかもしれませんが。

自殺という話を聞いた時も、ああ、そうかもな、という何処か納得感があって、少し恐ろしくなるくらい、感情が波立つことが無かったのをよく覚えています。
単に初めての経験ではないというのもあるけど。
死にたがる人の周りには死にたがりが集まるんだろうか。

物理的に何かが残る仕事って良いなぁと思います。
目に見える形で残っているので、分かり易い。作った人間の満足度が高い。
最後に会った時も「もうこれ作ったから良いや」などと言ってたような気がします。

ただ、あいつが残したゲームを遊び終えて仲間と話して、時々分からなくなります。
結局自分たちが惜しんでいるのは、彼自身ではなく彼の才だったのか。
多分奴にとっても私にとってもそんなことは割とどうでも良いことなんですけど。

情の有無なんてものは無い人間は気にもしないでしょうし、
本当に何一つ能力が無ければ人と関わるということ自体が出来ないはず。

例えば「こいつはこの能力で利益を生む人間だから惜しい」というのは考えた人間が非情であると思っても、言われた相手が非情と受け取るかどうか、というのはまた別の話です。
つまり情の有無なんてものは感覚的な話に過ぎないので、何処から何処までを情として判断しているのか、というのは個人差があるという話。

比較はできても数値化しづらい情報なので、摩擦を生んだ時の解決方法もややこしくなる訳ですね。
それは相手が他人であっても自分であっても同じことです。
「こいつのことは無条件で凄く好きだ」と思っているとしても、
実際には脳が自分にとって有益なパラメータを振り分けて判断を下しているに過ぎない。
細分化すると一般的に"感情的"と呼ばれる概念はすべてなくなるんじゃないかなぁ、などと思っています。

遊び終えた後、つい「今生きていればどんなゲームを作っただろうね」と口にしてしまいました。
仲間の1人から茶化す感じで知らねーよと言われてしまいましたが、
私がこの言葉を口にした動機も一蹴した彼の気持ちも、
結局何処から来ているのかよく分からない。

分析することは不可能じゃないですが、
感情について何処かで思考を切って結論を出し言語化する、というのは無粋だなぁと。
本当に下らないなぁと、そんなことを考えていました。

だから論理ロンリー切なくて

タイトルを「論理的に話せ!という非論理的要求」とするか迷いました。
結論は以上です。

対話を行うのに言語が必要である、というのがもはや面倒臭いんですよ。
相手の意図を履き違える度に内省的価値観を持つ己の機関から文盲とか言われるし、疲れることこの上ない。
言語という概念を使わなければ意思疎通を行うことすら出来ない下等生物めが。
最近は人間のことをそのように考えます。
何もかもが面倒臭い。

とはいえですね、会話を行う上で論理的に且つわかり易く明快に受け答えせよという使命は世間というなにがしからは課せられている訳で。
死ぬほどどうでもいいけど最低限でも出来ないと生きていけない。

この論理的、という言葉が嫌いで嫌いで仕方がない、という話を1年前くらいにどっかのツイッターで吐き捨てた記憶があるんですが、ふと思い出しました。
それを不意に言語化したくなったんです。

正しい日本語なんたるか、という説教をかます気はないし私自身日本語どころか言葉そのものについて全く自信がないのですが、そういった防御壁を整えた上で論理的、という言葉を紐解いていきますと、どうもこれはその人間にとっての正義、と言い換えても良いニュアンスの言葉であるように思えます。

というのも、論理の前提として理論であり理屈があり、例えばある一定の範囲内でこの理論が普遍的であり絶対的に変わらないもの、と定義されているのであれば、ははあそれはその理屈に従って説明せねばなるまいね、とそれでお話は以上終了なんです。
ただこの理論であり理屈の部分、どうも定義が広いらしい。
曰く「その人間個人の理屈」なんだとか。

はぁ。

一般論、という物を持ちだすのも吐き気を催すくらい嫌なのですが、まぁ一般的に「論理的に話せ」だの「論理的に云々」なんぞや、という言葉はよく聞きますよね。とりあえずわしゃあよく聞くしよく言われた。耳タコ馬耳東風って感じっすが。

さてさて、言語の定義の話をしている所で別の話を持ち出しますが、ここで要求されている「論理的」とはなんなのでしょう。

ここで、冒頭で漏らした物臭コミュ障が拗らせた言い方を致しますと、人間とは意思疎通に言語が必要であることによって言語による意思の統一が不可能である、という一見すると矛盾に満ちた理屈があるんですな。
無駄に小難しくしてみましたが、要はてめえの考えていることはてめえにしか分からねえから言語化できる範囲には限りがある、故に意思の統一は不可能、という意味でございます。

つまりですね。
意思疎通を行うには、言外の意図を探り、観察し、ああこの人はこういう意味でこの言葉を使っているんだな、その為にほにゃららな方向性の回答を要求しているんだな、などと拾い上げる能力が必要になる訳です。
完全に余談ですが、私の考えるコミュニケーション能力とはこれでございます。
でもこれ、突き詰めすぎるとすんごい疲れるし人と関わるのほんと嫌になりますよな。
それで疲れちゃって引きこもりがちなコミュ力のある内向的な人が大好きなんですが、それを助長する婉曲表現の上に行き過ぎた気遣いキチガイてんこ盛りの日本文化はでえっ嫌いです。げろげろ。

完全に逸れましたね。
ま、要はこの「論理的に云々」を持ち出す人の特性を考えたり観察したりしながら答えればいいんです。
こう、理屈に従って分かり易く話せ、といった感じでしょうか。

そう、理屈ね。
誰の?

言葉の定義上は、自分の、でございます。
ただ、ここで論理的、を要求されるシチュエーションを考えてみましょう。
大体議論や提案の場でしょうか。
あああ、IT業界の方はご着席下さい。論理領域の話はしていません。話がややこしくなりますから。

A. 論理的に話してほしい
B. 論理的に考えてそれはおかしい

ぱっと浮かんだのはこの2つですが、同じ意味です。

まずA、こちらは議論中に要求された会話文として噛み砕くと「理屈に従って説明しているように聞こえないので分かるように説明してほしい」というような感じでしょうか。
自分が伝わるような説明をできていなかったならもう一度分かり易く順序だてて説明するとか、手立てはありますね。
ただその上で相手に対して「論理的」の部分、つまり理屈の部分が伝わらなかった場合、悲劇が起こります。

ここでB、論理的に考えてそれはおかしい!
要するに「理屈に従って考えてもそれは変だよ筋が通ってないよ」と言われています。
感嘆符つけると感情的に見えますね。怒られている気がします。

そう、理屈ね。
誰の?

言葉の定義上、自分の、でございます。
つまり説明している自分の理屈が相手に伝わっていない、ということになります。
説明の再要求を行っているかどうか、という相違はございますが、どちらにせよAとBは「お前の理屈が分からん」と言われています。

そう、理屈ね。
もういいですね。だから説明を要求されている自分自身の、ですって。

ほんとかよ。

ようやくこの記事がただの鬱憤を叩きつけただけの生産性の低いものであることに気が付き始めた画面の前のあなた、頭が悪いですね?
別に今日そんなことがあったとか、実体験とかじゃあないんです。
ただ単純にそこら辺に転がっていそうな悲劇を拾い上げて、会話の無意味さを説きたかっただけなんですよ。
論理という非合理に対する怨嗟が続きます。

要するに、
明日地球が爆発するから槍を食べよう。
窓が錆びるから穴を掘って死体を埋めよう。
全て論理的な文章です。

結論に至った過程が省略されすぎていて分からないと思った感覚は正しいと思います。
人に伝える努力をしていない。
ただ、これが論理的であるか非論理的であるかという観点で見た時、その人間が理屈に従って説明している、と納得した時、少なくともその文章は論理的になると言える訳です。

これは人間の理屈を全て言語化できるかどうか、という点が絡んできます。
少なくとも私自身の理屈では人間の理屈を全て言語化することは現状「物理的に」不可能なため、言語化が不可能であるという考えになります。
このことから、論理的、という言葉を根源的に考えた時に、人間1人が発した言葉は全て論理的である、という考え方をすることもできます。

なんで理屈の言語化が不可能なんじゃ、というのは、それが可能であれば感情の細胞解剖が完了しているということで、試験官の中に感情を合成する試みがとっくに始まっているからだと思うからです。
出来るようになる前に人間が滅びそう。

さてコミュニケーションを無視した極論を書いたところで。
こうやって紐解いていくと、論理的という言葉は実に独り善がりで広い意味を持った言葉だなと感じます。
少なくとも、共通の結論を求めて議論する場には適さない。
持ちだすには、論理的という言葉に包括される理屈の部分を全体で定義して同じものであるとして、そこから初めて論理として組み立てていくという作業ができる。

ああ面倒臭い。
それが暗黙の了解となっているか、どっかでずれが生じるからこそ「論理的に話せ」などというある種言葉という共通言語の理屈に則っていない非論理的な要求がまかり通ってしまう訳ですな。

言葉が変化していくものであること、時と場合により意味が異なることがあること、それは確かです。
ただ本来抽象的に扱われるべき単語が具体的な物を要求する場で使われすぎて、もうどうしようもなく面倒臭くなることがあります。
それを汲み取るのがコミュニケーションという作業なんですけどね。

言語の一般的な意味と、相手を思いやるコミュニケーション力って大事だなぁなんて、社会人として生きていると実感しますよね。
大事なのは意味を定義して一つに絞ってしまわないことなんですが、それも度を過ぎると今度は会話が成り立たなくなる。


今日はJAVAのオブジェクト指向とIT業界におけるクラウドという言葉が包括する意味合いについて深く考えていました。
多分そのせいです。
英語が出来ない人間が日本語で物を考えるからややこしいことになるんだね。

言葉の意味を柔軟に受け取る理性がないと人の話を聞けない。
自分なりの確固たる言葉の定義を決めておかないと、考えを伝えようにも軸が破綻して理屈が伝わらない。
やはりそろそろ進化しても良いと思うんです、人間は。

悲劇に悲嘆して死にたがるのは思考停止。でもそこで止まっとかないと本当に気が狂うから参っちゃうよね。
だから時々こうして言語化して自分が理解している論理との乖離を調整しつつ、アウトプットによる感情の調整を図る訳です。
お疲れ様でした。

演繹法を過信するなという話

家にですね、カメムシを飼ってるんですよ。いや勝手に入ってきて放置してるだけなんですけどね。
全長5cmくらいのでっかいカメムシ。3ヶ月ぶりに出てきまして。
でっかいし飛び回るし顔に突撃してくるしでもー大変のなんの。
でもまぁ結構長い期間うちの中にいるみたいだし、そろそろ愛着が涌いてくるかなーなんて。
んな訳あるか。早くうちから出て行ってくれ!
でかくて素早い虫が大の苦手です。生きるのが辛すぎる。

さて、きっかけは二次創作における創作をする側の考え方の話ですね。
何もそれに限った話じゃないのですが。
演繹法と帰納法について細かく考察したことがある人には今更すぎる話です。
自分用に言語化してまとめておこうかなと。

物の考え方には大きく2つの種類があって、1つは
・元々ある前提から結論を導き出す【演繹法】
・事実から類似点をまとめ上げて結論を導き出す【帰納法】
の2種類があります。

ここで重要なのは結論である「仮説」が頭に来るのか後に来るのか、という話です。
創作においてはこの「仮説」がいわゆる創作物として生み出されるためのベースとなる考え方であるとします。

要するに
・原作においてAとBは〇〇、××であるという前提がある、故に「A×Bである」
 →演繹法
・「A×Bである」、その理由を原作から枚挙すれば、〇〇、××、△△……
 →帰納法

というような感じです。
分かり易いのでいわゆるカップリングにしましたが仮説の例えは何でも良いです。

誰しも、意識的でも無意識的にでも、原作を読んだ上の自分の「結論」や感想がありますよね。
ここで出した「結論」は原作を元に順を追って導き出されています。演繹法ですね。
そこから皆さん、これは「A×Bに見える」からそれで創作するぞ!という方が多いかと思います。

これは統計を取った訳ではなくあくまで同人文化に見て触れて聞いた上で、そういう人が多く見えるという実体験の話です。
ただ、演繹法には大前提として原作の流れを汲む、という原作リスペクトの精神があるので、大半の二次創作者はこちらの考え方で作品を見ている、と主張する方が多いのではないかと考えています。私も通りすがりにどっち?って聞かれたらこっちって答えます。

一方で、帰納法は始めから「結論」ありきです。
例えば原作を追いかける前に顔を見て、この顔はBを受けにしたいから「A×B」、
このキャラはこう動いてほしいから、こうであってほしい。
要するに理想の押し付けですね。
結論に対してその根拠を枚挙する訳だから、どうしても偏った見方になります。
原作のイメージから大きく外れた、アクの強い二次創作が人を選ぶのは、この帰納法の考え方が根底にあると考えています。

ここで考えたいのは、その演繹法は本当に演繹法なのか?と疑うことが重要であるという話です。

作品を鑑賞する、という行為には主観が付きまといます。
どんなに客観的に見ようとしても、その人間が考えられる以上のことは考えられないので、その人間の視点にある一定の偏りが発生します

分かり易いのが、好みのキャラですね。
好きなキャラが出る回はやたらと集中して観たり、主人公ではない好きなキャラを中心に物語を追いかけてみたり。

好きなキャラ、というのは人によって多少の傾向が出ると思います。
二枚目のキャラを好きになりがちだったり、ダークヒーローに傾倒しがちだったり、頭の良いイケメンクールキャラに惚れがちだったり、それでいて人間味のある弱さを持っており自分の意志を貫く戦闘狂を好きになりがちだったり……。
いやすいません。今は丸藤亮の話をしているんじゃないんですよ。

要は、好きなキャラは何をもって好きなのか?という話です。
傾向が出るということは、そのキャラクターをそのように分類している可能性があるということです。
「クールである」「戦闘狂である」「二枚目である」
なんでも良いですが、それはある種の仮説として自分の中に落とし込まれている事実です。
原作をもとにそのキャラが好きであるという事実が発生する過程で、既に演繹法によって「そのキャラが好きである」という結論が発生しています。
この結論、そのキャラのここが好きである、に置き換えてみましょう。
それがそのままその人の傾向であり解釈であり創作をする際中心となる考え方になります。

さいで、噛み砕いてみたところで。
その結論は本当に演繹法によって導き出された者なのでしょうか。

物語を追いかけて結論を導き出す、演繹の過程で帰納の考え方が発生しています。
この例で考えると、そのキャラに対してこうである、という属性を押し付けていますね。
無駄に長々と書きましたが、
要するに自分が傾倒する物に対しては何をどう頑張っても理想を押し付けがちになるよ、という話です。

この事実から、私は人間が物を考える過程はすべて帰納法に帰結する可能性があると考えています。
大枠が演繹で、自分の頭でそれが考えるに値するものである、と稼働を始めたタイミングで帰納法に移行するというイメージでしょうか。

この記事でやりたかったのは演繹だと思っている物は実は帰納かもしれないよという根拠を具体的に書いてみたかっただけなので、以下はこの考え方がどういったメリットを生むのか、どう生かしているのかという話を中心に書いてみます。
主題はここまでです。お疲れ様でした。

以下余談、あくまで自分はこうだよという話。

不自由が生み出した経歴の話

・新聞配達
今振り返ると一番性に合ってたような気もしないでもない。
学業との両立は大変でしたが健康的。でも死ぬかなって思ったことも何回か遭った。事故だったり事件だったり。

・イタリアンレストラン
新聞配達とダブルワークして死んだけどなんだかんだ定職バイトとしては一番長くやっていたような。
でも住んでた地域と最低時給と労力を考えたら死ぬほどコスパが悪かった。
発注レベルのこともやってたからなんか単なるバイト扱いされるの不服。

・牛丼屋
ザルバイトだったけど地域の影響で割と高給な部類。
疎通の取れない外国人バイトさんに振り回されてちょっと心折れそうになった所で別の職を見つけた。

・営業
テレアポもやったし飛び込みもやった。1回水ぶっかけられた。寒波の時期じゃなくて良かったって思った。

・事務
一番業務内容に興味ない。
とはいえ事務という言葉に包括すんのがクソかよと思うくらい一蓮托生の名の元に色んな仕事をやった。
ほぼ企画提案レベルのことも。後の開発職に生きたような気もするけどこのレベルで忙しいとこはもうやだ。

・コンビニ
ちょろっとだけ。楽だったしほとんど記憶がない。

・仕分け系
単調すぎて死のうかと思った。

・インフラエンジニア
なんかちょろっとやって条件面違ったのですぐ辞めてしまった。
どちらにせよ保守系は多分向いていない。


上5個は年単位でやってた奴。
20代のうちになんかもうちょっと落ち着きたいですね。自由に生き過ぎて不自由。

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